[2021.7.17] 文科省のギフテッド支援について part2 ~ギフテッド児・2E児に対する小学校の対応の現状~
息子が小学校に上がる前、集団生活、情緒面、学習面などいろんな所に不安を感じ、学校関係に相談に行ったときの対応がどんなものであったかを書きます。
幼稚園ではなかなか集団行動がうまくできなかった息子。年中から入園しましたが、みんなで一緒に歌を歌うとか、踊るとか、普通の子供は楽しんでやりそうなことをとても恥ずかしがりました。追いかけっこや鬼ごっこなど、友達が誘ってくれてもその中に混じることはほとんどありませんでした。ただ先生など大人とは普通に接することができました。
幼稚園に入る前にパパを亡くした事がきっかけで、母子ともに、…というか、先に私が精神的不調に陥り、その影響で息子も情緒不安定になり、ちょっとしたことでパニックを起こすようになりました。さらに年中の終わり頃、私が働き始めて幼稚園に預けられる時間が長くなったため、症状が悪化して、自傷行為(頭を叩く)が出た時期もありました。年長の夏ごろから次第に落ち着いてきて、自傷もなくなりまたが、癇癪などは今よりもひどくて頻繁に起こしていました。
一方では、小さいころから数や数式、記号、標識、文字など、表記されているものに強く興味を惹かれ(執着し)、いろんなことを物凄い速さで学習していきました。3歳で簡単な計算ができるようになり、年長の夏には小2の算数を終えていました。漢字は2歳から興味を持ち始め、3歳になった頃には小2までの範囲が読めるようになり、4歳ではふりがな無しで看板やポスターや注意書などの短い文や、図鑑やマンガなど文字の分量が多い本も難なく読めるようになっていました。
学力と精神面のアンバランスが顕著で、小学校の集団生活に馴染めそうにはとても思えませんでした。
市のこども発達センター、小児科、精神科の発達専門外来、療育の先生、ペアレントトレーニングの先生、市の就学前相談、小学校の支援学級のコーディネーターなど、相談できるところを見つけては意見を聞きに走りました。それぞれでいろんなことを言われて、納得したこともあったし、納得できないこともありました。
その中で学校関係機関の対応はどうだったかと言うと、
入学前の秋、市の就学前相談に行きました。小学校の入学にあたり支援が必要かどうかなど、学校生活に対する不安を持っている人が対象の相談会です。個別の相談室に入ると先生方が3人横一列に並んでいて、私はその前に座って、先に書いたような事情を全部話しました。細かいことまで聞いてくれてました。そして、真ん中に座っていた、50代ぐらいの男性で、教育委員会の指導員の先生がこう言われました。
「それは支援学級に行った方がいいですよ」
「お母さん、学校はね、たくさんの児童がいて先生は一人なんです。クラスをまとめようと思ったら、(両手で自身の前に机を四角く描きながら)この中にね、収まる子供じゃないとダメなんですよ、この中に」
その隣で、女の先生がうんうんと頷いていました。30~40分の相談時間の中で、これを話の要所要所で更に2回繰り返されました。
後日、支援級に入れてもらうつもりで、小学校に相談に行きました。支援コーディネータの先生にそれまでの経緯と現状を伝えて、就学前相談で支援学級を勧められたこと、自分もそれを希望していることを伝えました。先生はこういわれました。
「こういうケースは経験したことがないので、どんな支援をしたらいいかわかりません」
「もし学年に1人支援の先生を入れたとしても、勉強についていけなかったり、落ち着きがなかったりする、目立つ子供が優先的に支援の対象になるので、学習に問題のない息子さんにはあまり目が届かないと思います」
「良くお出来になってお母さん幸せですね。ふつうはみんな勉強できなくて困るんですよ」
隣に座っていた校長はWISC-IVの結果が書かれた紙を見ながら、「知能指数が高いと支援の対象にはならないと思います。審査が通らないんじゃないかなー」と言っただけで、後はほとんど意味のある発言はありませんでした。
教育委員会の先生の対応は、時代に逆行し過ぎていて、愕然としました。個性の尊重がこれ程叫ばれている時代に、教育委員会が流れとは正反対の信念を持っているのです。枠からはみ出してはいけないというのは、視点が100%教師側にあって、思い通りに動く子供をしか受け入れていません。子供の多様性を認めたり、能力を引き出そうという姿勢は見られません。まるで工場の大量生産と同じで、規格外ははじかれるのです。それでも、支援学級に入って適切な対応をしてくれるならと考えました。
しかし、小学校の方は、支援の仕方が分かりませんと明言しました。方法を知らないところに支援を頼む意味なんてありません。せめて「何ができるかわかりませんが、本人の様子を見ながら考えていきましょう」ぐらいの言葉があれば、少しは不安も和らいだでしょうが、拠り所のない悲しい気持ちでした。
息子の勉強が進んでいて幸せだと言われたのは、この状況においては、問題の本質が理解できていない全く焦点のずれた話です。慰めになるどころか、むしろ苛立ちを感じました。
結局、支援学級はやめました。学習面に遅れがある子供や行動面で問題のある子供しか対象にしていないので、息子が入っても何の役にも立たないと思ったからです。
これが学校対応の現状です。小学校にギフテッドや2Eの支援を求めても、学校のシステムも先生の意識もこのようなレベルなのです。
私は今回の、文科省がギフテッドに対する支援を2年間かけて検討するというニュースに、喜んではいますが、なかなか一筋縄ではいかないとも思っています。
現場の先生の意識改革や、指導者の育成はそんなに短時間でできないと思うからです。ギフテッドにもいろんなタイプがあるし、2Eの子供はさらに障害も多岐にわたって、対応が難しいでしょう。彼らが抱える問題に適切に対処しながら、持っている才能をうまく引き出すというのは、いろんなケースに当たって経験を積み重ねなければ、マニュアルを渡されて簡単にできるようなものではありません。
有識者が集まって、2年会議を重ね、方針を固めてシステムを整備する。そして、現場で対応のできる教育者を育成して、各学校に配置されるまで一体どのくらいかかるでしょう。
願わくば、現在小2の息子が小学生のうちにきちんと制度が整ってほしいものです。