[2021.7.22] 癇癪は自分で無意識に作り上げた枠のせい
小2算数大好き息子について書いています。
今日も癇癪炸裂した息子。原因は算数の間違い。
(あー、なんか癇癪日記みたいになってますね…💧)
終業式の日にもらった夏休みのワーク2冊。当日、学童で全部仕上げてきました。答え合わせはおうちの人がするという決まりで、今日家事の合間に丸付けをしました。
間違いがあったら言った方がいいのか、それとも放っておいた方がいいのか尋ねたら、言ってほしいとのこと。
文章題で引き算するところを足し算していたので、
「一つだけあったよ。ここだけやり直す?」
と聞くと、もうそれだけでイライラを顔ににじませて、私のところにやって来ました。
既に雲行き怪しい。間違いあったら言ってほしいって自分で言ったんやん…。
イライラの表情は見なかったことにして…、
「ここ、足し算か引き算か確認してみたら?」
それを聞いたとたんに、うわーっとなって、答えを乱暴に書きなぐって、そのあと鉛筆を机に叩きつけ、床を踏み鳴らし、叫び、机を叩き、自分を責めます。
もう自分の人生終わったような騒ぎ方です。
足し算と引き算間違えただけやん…。
さらに、私のところまで悪態をつきに来たので、私もイラッとなって「いい加減にしなさい、やりすぎ!」と怒ってしまいました。
それがこの子の特性だってことも、自分でも苦しいんだってことも、頭では十分理解してるんですけど、今日は止められなかった。
「一問間違えただけやん。ちょっと書き直したらおしまいやん。なんでそこまで怒らなあかんの?」
言ってはいけないと心の中で思いながら、口が勝手に…。
でもこれが私の正直な気持ちなのです。やっぱりそこまで腹を立てる気持ちにはどうしても共感できないし、なぜそこまでこだわってしまうのか本当に知りたいんです。本人もそんなの説明できないでしょうが。
まあ、そういう風に言われたときは余計暴れますよね。そばにいるとこちらの精神状態も悪化するので、退散。しばし暴れて、落ち着いたみたいですが、バツが悪いのか近くに来ません。
ペアトレの教えでは、ここで「ちゃんと自分で落ち着けたね、えらいね」と褒めるのが正しい行動です。でも今日は無理でした。一応ハグして、表面的には和解しましたが、私の顔、おそらく能面のようだったと思います。なんだか嫌な気分で夕食前まで過ごしてしまいました。
まあこういう日もあります。最近ちょっと癇癪が増えていて、私の我慢限界レベルも低下気味です。
もし近所の人がこの騒ぎ聞いたら、まさか+と-を書き間違えただけなんて考えもしないだろうな。鬼みたいな怖いお母さんが子供にしつけと称して虐待してるんちゃう?とか勘違いしませんように。
そして、息子と夜のジョギング。
3日前から夕食を片づけた後、お風呂に入る前に近所を30分ほど走っています。暗くなってからの方が気温とか格好とかいろいろ都合が良いので…。
今夜も息子と走りました。家を出ると150m程の袋小路になっている道があるので、それを5~6往復して、最後は近所を一周ぐるっと大回りするというコースです。
息子は私のスマホのストップウォッチで時間を計測していました。
私が折り返し地点で、息子が踏んでほしいポイントを踏まなかったり、足を止めたりすると、それが気に入らないようで、ちょっとイラつきます。こういうことに大きな癇癪は起しませんが、不満げな顔を見せていました。
しばらくは無視して走っていました。時には機嫌が悪くなる方が面倒だと思って、意に沿うようにしたりすることもありますが、今日は昼間の癇癪の一件もあったので、
「自分がストップウォッチをどう使おうと自由だけど、ママを思い通りに動かそうとするのはやめて。自分は好きなように走ったらいい、ママも好きなように走りたい」と言いました。
すると息子は「じゃあ返す」と言ってスマホを渡してきました。それが渋々だったのか、そうでもなかったのかよくわかりませんが、そのあとは普通に走ってついてきていました。
近所を大回りしながら、
「ここを踏まないとダメとか、歩いちゃダメとか勝手に自分の心の中で決めて、それと違ったら嫌な気分になるよりも、そんなこと考えずにお互い好きなように走った方が楽しくない?」
と言ったら、「うん」と言って楽しそうに走っていました。
「こうあるべきだ」「こうしちゃいけない」というのは息子が自分で勝手に作った縛りであって、その縛りを自分にも他人にも当てはめて、違うことが起こると勝手に苦しんでいるのです。しかもそれを全部無意識にしています。
この縛りを解けるのは、本人以外にいません。意識して「こうあるべき」モデルを作っているわけではないので、「それを壊して自分を解放することができるのは自分しかいない」ということをイメージとしてちゃんと認識できた方が心をコントロールしやすいかもしれません。小2にもなれば、少しはこういう話も理解できるかもしれないと、ふと思って話をしました。
「ここを踏まなくちゃいけない、スピードを落としちゃいけない、算数の問題を間違えちゃいけない、って誰が決めてるの?誰かがそうしないといけないって言うの?」
「ううん」
「それって、勝手に自分で思ってるだけじゃない?そうしないといけない理由ってあるの?」
「ううん」
「じゃあ、そんな枠は壊しちゃって、自由に行動できた方が楽じゃない?人がそこを踏むか踏まないかが、どれだけ重要なことなのかよく考えてみて。本当にそんな決まり事を作って守らせる必要あると思う?」
「そんなのない方がいい」
「じゃあ、そんなの壊して自由になろうよ。心の中に自分で作った決まり事なんだから、自分でしか壊せないよ。ママには壊してあげられない。窮屈なところから出てきて何でも自由にやろうよ」
私は両腕で作った輪っかの中に息子を入れて、
「こんなの走りにくくない?今は勝手にこんな枠自分で作って、窮屈な思いしてるんだよ。輪っか切ってごらんよ。」
息子は輪っかを手で切って、外に出て「自由で走りやすい」と言いました。
「自分は、自分が無意識に作った縛りにコントロールされている」ということをイメージとして認識し、それはただの思い込みで、そんなものに縛られる必要はないと考えられれば、壊すこともできるんじゃないかと思います。
これを聞いてすぐに実行できるわけではありませんが、少なくとも、私が言いたかったことは頭でちゃんと理解できているようです。
こだわりがあるからこそ成せる業というのもあると思いますが、もう少し楽な生き方ができるようになってくれると母としては嬉しいです。
2Eの子供は小学校低学年辺りが癇癪を起しやすく、育てにくい時期であるという記事もありました。前頭前野、早く発達して~!